杉浦重剛
明治大正期の教育家、近江膳所(ぜぜ)藩士。
はじめ岩垣月州の門に入り、長じて科学の研究を以て英国に留学。
帰朝して大学予備門の長となり、日本中学校を創立し、称好塾を開いて育英を以て任とした。
晩年には東宮御学問所御用掛となって昭和天皇に進構。
大正十三年に七十で没。
- 生年
1855年
- 没年
1924年
- 所属
近江膳所藩
- 生誕
滋賀県
自訟
登嶽小天下。自誇意氣豪。其奈山上山。仰之一層高。
嶽(がく)に登(のぼ)つて天下(てんか)を小(しょう)とし、自(みずか)ら誇(ほこ)る意気(いき)の豪(ごう)。其れ山上(さんじょう)の山(やま)を奈(いかん)せん、之れを仰(あお)げば一層(いっそう)高(たか)し。
山岳に登って天下を小とする、そんな偉丈夫の気概は誇らしい。しかし山上に更に山があるのはどうしたことだろう、これを仰げば一層高く聳(そび)えているのだ。