木下順庵

諱は貞幹(ていかん)、字は直夫(ただを)、通称は平之允、順庵は号。
松永尺五(まつながしゃくご)に従学して性理学を修め、京都東山に雉塾を開講。
教授すること二十余年、その名は天下に重く、加賀候に召され、後、将軍綱吉に仕え、国史を修めた。
新井白石ら多数の門人を輩出。
元禄十一年十二月二十三日、七十八歳を以て没す。

生年
  • 1.1621
没年
  • 1.1698

邊城秋詞Link

胡霜漢月照刀環。百戰沙場久不還。萬馬夜嘶靑海戍。孤鴻秋度玉門關。

胡霜(こそう)漢月(かんげつ)刀環(とうかん)(て)らす、百戦(ひゃくせん)沙場(さじょう)(ひさ)しく(かへ)らず。萬馬(まんば)(よる)(いなな)青海(せいかい)(じゅ)孤鴻(ここう)(あき)(わた)玉門関(ぎょくもんかん)

北国には霜が舞い降り星月が刀環を照して帰心を促すが、転戦久しく沙場からは帰れない。青海の駐屯地では軍馬のいななきが夜空に響き、玉門関の秋空には鴻(おおとり)が一羽群れを離れて飛翔し去る。

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