細井広沢
江戸中期の儒学者、書家。
諱(いみな)は知慎(ちしん)、字(あざな)は公謹(こうきん)、広澤(こうたく)は号。
別に思胎斎(しいさい)、蕉林庵(しょうりんあん)と号す。
赤穂義士と善く交わり、堀部安兵衛日記の編纂を託された。
- 生誕
遠江
- 生年
1658年
- 没年
1735年
與赤穂堀部武庸
結髪(けっぱつ)奇士(きし)と為る、千金(せんきん)那(なん)ぞ言ふに足らん。離別(りべつ)の情(じょう)盡(つ)くる無し、肝膽(かんたん)一劍(いっけん)存す。
元服して一人前の武士となった、千金になんの価値があろうか。永遠の別れは忍びないが、我が心中には君と相照らした一剣が存するのだ。
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