- 備考
- #1古訓に稽(かんが)ふる、之れを学と謂ふ。
己が心に求むる、之れを思と謂ふ。
天下の善を會(かい)して之れを一にする者は、学(がく)の功なり。
深きを極め幾(ちか)きを研(みが)き、鬼神と功を同じくする者は、思(し)の至りなり。
学の功や實(じつ)、思の至りや神(しん)。
学びて思はざれば則ち實を得る所無し、故に罔(くら)し。
思ひて学ばざれば則ち心を師(し)として自ら用ふ、故に殆(あやふ)し。
是の故に思に非ざれば則ち以て能く学ぶこと無く、学に非ざれば則ち以て思を達すること無し。
両者相待つて而(しか)る後に成るを得るなり。
又た曰く、
古の学者は、思ふ所、学ぶ所より多し。
今の学者は、学ぶ所、思ふ所より多し。
而して古人の謂う所の学は、今人の謂ふ所の学という者と亦た大に異なれり。
此れ亦た察せざる可からざるなり。(伊藤仁斎「論語古義」)