丁寬易東(巻之一)

原文↑↑↑

前漢丁寛字子襄。梁人。
初梁項生從田何易。
時寛為項生從者。讀易精敏。材過項生
遂事何。學成東歸。
何謂門人曰。
易已東矣。
寛復從周王孫。受古義。號周氏傳
景帝時。為梁孝王将軍
易説三萬言。訓詁舉大誼而已。

書き下し文↑↑

前漢(ぜんかん)丁寬(ていかん)、字は子襄(しじょう)、梁(りょう)の人なり。
初め梁の項生(こうせい)、田何(でんか)に易を受く。
時に寬(かん)、項生の従者たり、易を読むこと精敏(せいびん)、材、項生に過ぐ。
遂に何(か)に事(つか)へ、学成りて東に帰す。#1
(か)、門人に謂ひて曰く、
易、已(すで)に東す、と。
(かん)(ま)た周王孫(しゅうおうそん)に従ひて古義(こぎ)を受け、周氏伝(しゅうしでん)と号す。
景帝(けいてい)の時、梁の孝王(こうおう)の将軍と為る。
易説三万言を(な)し、訓詁(くんこ)して大誼(たいぎ)を挙ぐるのみ。

現代語訳↑

前漢(ぜんかん)の丁寬(ていかん)、字は子襄(しじょう)、梁(りょう)の人である。
初め梁の項生(こうせい)、田何(でんか)に易を学んだ。
項生に従っていた頃、丁寬は易を読んで本質を捉えることに優れ、その素質は項生を凌ぐものであった。
やがて田何に従い、学成って帰郷した。
田何は門人に言った。
易が東へ去っていく、と。
丁寬はまた周王孫(しゅうおうそん)に従って古来の解釈を学び、周氏伝(しゅうしでん)と号した。
景帝(けいてい)の時に梁の孝王(こうおう)の将軍となった。
易説三万言を著述し、その注釈は大義を挙げるばかりであった。

大義を挙げるのみ、とは枝葉末節ではなく根本をひたすら挙げる意であろう。
要は字句の解釈ではなく、易自体の本質を解くこと。

備考
#1東帰は一本「家帰」に作る。

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