孔明臥龍(巻之一)
原文


蜀志。
諸葛亮字孔明。琅邪陽都人。
躬耕㆓隴畝㆒。好為㆓梁父吟㆒。毎自比㆓管仲樂毅㆒。
時人莫㆓之許㆒。
惟崔州平徐庶與㆑亮友善。謂為㆓信然㆒。
時先主屯㆓新野㆒。徐庶見㆑之謂曰。
諸葛孔明臥龍也。將軍豈願㆑見㆑之乎。
此人可㆓就見㆒。不㆑可㆓屈致㆒。宜㆓枉㆑駕顧㆒㆑之。
先主遂詣㆑亮。凡三往反乃見。
因屛㆑人與計㆑事善㆑之。
於㆑是情好日密。
關羽張飛等。不㆑悦。
先主曰。
孤之有㆓孔明㆒。猶㆓魚之有㆒㆑水也。
願勿㆓復言㆒。
及㆑稱㆓尊號㆒。以㆑亮為㆓丞相㆒。
漢晋春秋曰。
亮家㆓南陽鄧縣襄陽城西㆒。號曰㆓隆中㆒。
書き下し文

蜀志(しょくし)にいふ、
諸葛亮(しょかつりょう)、字は孔明、琅邪(ろうや)陽都(ようと)の人なり。
躬(みづか)ら隴畝(ろうほ)に耕し、好んで梁父吟(りょうほぎん)を為し、毎(つね)に自ら管仲(かんちゅう)楽毅(がっき)に比す。
時人(じじん)、之れを許す莫し。
惟(た)だ崔州平(さいしゅうへい)、徐庶(じょしょ)、亮と友とし善し、謂ひて信(まこと)に然りと為す。
時に先主(せんしゅ)新野に屯(とん)す、徐庶(じょしょ)、之れに見(まみ)え謂ひて曰く、
諸葛孔明は臥龍(がりょう)なり、将軍、豈(あ)に之れに見(まみ)へんことを願ふか。
此の人、就(つ)きて見るべく、屈致(くっち)すべからず、宜しく駕(が)を枉(ま)げて之を顧(かへり)みるべし、と。
先主、遂に亮に詣(いた)り、凡そ三たび往(ゆ)きて乃ち見る。
因りて人を屏(しりぞ)け、与(とも)に事を計り、之を善しとす。
是に於いて情好(じょうこう)日に密たり。
関羽、張飛等悦ばず。
先主曰く、
孤(こ)の孔明あるは、猶ほ魚(うお)の水あるがごときなり。
願はくば復(ま)た言ふ勿れ、と。
尊號(そんごう)を称するに及び、亮を以て丞相(じょうしょう)と為す。
漢晋春秋に曰く、
亮、南陽(なんよう)鄧縣(とうけん)襄陽城(じょうようじょう)の西に家(いへ)し、號(ごう)して隆中(りゅうちゅう)と曰(い)ふ、と。
現代語訳
蜀志にいう。
諸葛亮、字は孔明、琅邪(ろうや)陽都(ようと)の人である。
田畑を耕しながら、好んで梁父吟(りょうほぎん)を詠い、つねに自らを管仲・楽毅に比していた。
人々は決してこれを認めなかった。
ただ崔州平と徐庶は諸葛亮と善く交わり、その言葉に納得した。
時に劉備は新野に駐屯し、徐庶はこれに謁見して言った。
諸葛孔明は臥せる龍の如き人物です、どうしてこれに会おうとしないのですか。
この人は自ら訪ねていくべきで、呼び寄せなどには応じません、どうか労を惜しまずに出向いてください、と。
劉備は遂に諸葛亮の元へゆき、三度訪れて会うを得た。
そこで周囲の者を退け、共に今後の方針を計り、これを善しとした。
こうして二人は日々に親密となっていった。
関羽・張飛等は悦ばなかった。
劉備が言った。
私に孔明があるのは、例えるならば魚に水があるようなものだ。
頼むからもう言わないでほしい、と。
帝位に即位すると、諸葛亮を以て丞相に任じた。
漢晋春秋にいう。
諸葛亮は、南陽(なんよう)鄧縣(とうけん)襄陽城(じょうようじょう)の西に家を構え、号して隆中という、と。