山崎闇斎
諱は嘉(よし)、字は敬義(けいぎ)、通称は嘉右衛門。
闇斎(あんさい)、垂加(すいか)、梅庵(ばいあん)は号。
初め僧となり、谷時中(たにじちゅう)の門に入りて朱子学を学び、還俗して帰儒。
後に神道を考究し、儒教と神道を統合した垂加神道を提唱。
京にて開いた私塾は門人数千人であったという。
- 生年
1618
- 没年
1682
有感
坐憶天公洗世塵。雨過四望更淸新。光風霽月今猶在。唯缺胸中洒落人。
坐(そぞ)ろに憶(おも)ふ天公(てんこう)世塵(せじん)を洗(あら)ふを、雨(あめ)過(す)ぎて四望(しぼう)更(さら)に清新(せいしん)。光風霽月(こうふうせいげつ)今(いま)猶(な)ほ在(あ)り、唯(ただ)缺(か)く胸中(きょうちゅう)洒落(しゃらく)の人(ひと)。
ふと思う天が世塵を洗い流してくれていると、雨後の世界はなんとも清々しい。光風霽月の情景は今も変わることなく在るのに、胸中洒落の人が見当たらないのはどうしたことだろう。