井伊直弼

井伊直弼
  • 1.いいなおすけ
  • 1.江戸末期の政治家。大老。彦根藩主。攘夷派を抑えて開国を断行するも、安政の大獄に激怒した水戸浪士により桜田門外にて暗殺。

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    参考文献:::井伊直弼

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    庶子で十四男として生まれた井伊直弼は、城下の別宅で青年時代を過ごし、その居宅を「埋木舎」と名付けた。
    名付けの理由を問われて言った。
    これ世を厭ふにもあらず、はた世を貪るごとき、かよわき心しおかざれば、望み願ふこともあらず。
    ただうもれ木の籠り居て、なすべき業(わざ)をなさましと、おもひて設けし名にこそといらへしままを、埋木舎(うもれぎのや)のこと葉(ば)とす、と。

    井伊直弼は埋木舎で文武はもとより和歌や茶道などの芸能にも勤しみ、いずれにもすぐれた才能を発揮した。
    とくに茶道はみずから一派をたてるほどであった。

    井伊直弼と親交のあった松平信茂(まつだいらのぶしげ)は、水戸藩の脱藩浪士が江戸に入ったとの報を聞いて一時の棲遁(せいとん)を勧めた。
    井伊直弼は感謝しつつも、容を改めて言った。
    我れ一身の危機は不肖(ふしょう)之れを知る、而(しか)も今に於いてその職を退くが如きは、之れ国家を忘れたるものの所為(しょい)なり。
    直弼(なおすけ)大老の職を拝せしより、一身はすでに国家の犠牲たるの決心あり、何ぞ死を恐れて此の国家の危機を擲(なげう)ち去るに忍びんや、一身の危害何かあらん、と。

    直弼の心を動かすことは叶わないと知った松平信茂は、護衛を増やしてはどうかと提案した。
    直弼は言った。
    生死は天にあり、刺客すでに我が身辺に及ぶ、避くべきは避け得んも、避くべからざるは竟(つい)に如何ともすべからず、何ぞ特に護衛の厳なるを要せん。
    且つ従者は古来よりの制規あり、今制規を破って怯名(きょうめい)を求むるを欲せず、と。

    井伊直弼の臣下もしばしば諌めて勇退させようとした。
    直弼は言った。
    方今(ほうこん)の時勢、到底(とうてい)我が退職を許さず、我が家たる東照神君(とうしょうしんくん)以来、殊寵(しゅちょう)を蒙(こうむ)り、不肖(ふしょう)また抜擢せられて此の要職に置かる、その洪恩(こうおん)に酬ゆるもの今日(こんにち)に措(お)いて他(た)あらんや。
    汝等の忠誠よく主の危急を知って而して去らざると、余が国家の難局に際して要路(ようろ)を退く能はざると、其の真意に於いて毫(ごう)も異なる所なし、また多く言ふを止めよ、と。

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